義実家への帰省、頻度で悩む本当の理由

寝る前のベッドの中で、スマホに「義実家 帰省 頻度」と打ち込んだことがあります。

検索結果はいくらでも出てきます。
それを上から順に眺めて結局そのまま画面を閉じました。

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平均を知っても、すっきりしない

月に一度という家庭もあれば、年に二回、盆と正月だけという家庭もあります。車で十五分の距離もあれば、新幹線を乗り継いで半日かかる距離もある。読んでいくうちに、自分の家がどのあたりに位置しているのかは、なんとなく見えてきます。

多すぎるわけでもない。少なすぎるわけでもない。たぶんごく普通の範囲。

そこまでわかってそれでも何かが残ります。

知りたかったのは平均値だったはずなのに、平均値を知っても軽くならない。むしろ「うちは普通なんだから、これで気が重くなる自分のほうがおかしいのかもしれない」という、別の重さが増えたりします。

答えを探しに行ったのに答えが自分に返ってくる感じ。
あれはなかなか、しんどいものです。

気になっているのは、回数じゃないのかもしれない

たとえば同じ「年に三回」でも、残るものはずいぶん違います。

自分から「そろそろ顔を見せに行こうか」と言った年があります。日程を調べて、手土産を選んで、子どもの服を用意して。やることは同じなのに不思議と苦になりませんでした。

一方で、気づいたら予定が入っていた年もあります。夫が実家と電話で話していて切ったあとに「来週末、行くことになったから」と言われる。カレンダーを見て、あ、その日は、と思ったけれどもう決まったあとでした。

やっていることは、どちらもほとんど変わりません。
同じ場所に行って、同じ人に会って、同じくらいの時間を過ごす。

それでも後者だけ、帰りの車の中で妙に疲れている。

回数を数えても、この違いは出てきません。だから検索しても答えが見つからなかったのかもしれません。

いつの間にか決まっている、という感覚

決め方は、たいてい静かです。

夫が実家に電話をして、話の流れで日程が固まる。義母から「今年はいつ頃来られそう?」と連絡が入って、夫がその場で返事をする。誰も悪いことはしていません。むしろ、家族として自然なやりとりに見えます。

だからこそ、あとから「ちょっと相談してほしかった」と言い出しにくい。

言えば、行きたくないと思われるかもしれない。実家の話になると夫は少し身構えるし、義母のことを悪く言っているように受け取られるのも避けたい。そんなつもりはまったくないのに、口に出した瞬間、話が大きくなってしまいそうな気がします。

反対しているわけではありません。ただ、決まっていく場所に自分がいなかった。

その感覚だけが、うまく名前をつけられないまま残ります。

「行きたくない」ではなく「聞いてほしかった」

ここを言葉にできると、少し楽になることがあります。

たぶん、断りたいわけではないのです。義実家が嫌いなわけでもありません。もし事前に「今年、どうしようか」と聞かれていたら、おそらく同じ答えを出していたはずです。「うん、行こうか」と。

同じ結論なのに、経由した道が違うだけでここまで気持ちが変わる。

これは、わがままとは少し違います。自分の暮らしに関わることが、自分のいないところで進んでいく。その積み重ねが、じわじわ効いてくるというだけの話です。

そして厄介なことに、こういうものは一回では表に出ません。一回目は「まあ、いいか」で流せます。二回目も流せます。ただ、流したものは消えるわけではなくて、どこかに置かれたままになります。

「義実家 帰省 頻度」と検索してしまう夜はたぶんそれが少し溜まってきた夜なのだと思います。

次の予定の話が出る前に、一度だけ

もし何か変えられるとしたら、次に予定が決まる前かもしれません。

たとえば、なんでもない日の会話の中で、自分から先に切り出してみる。「今年、実家いつ頃行こうか」と。

決めるためではなく、一緒に考える形にするために。

先に言い出すのは、少し勇気がいります。話題にした時点で、何か含みがあると思われそうな気もします。けれど不思議なもので、自分から切り出した話は、たいてい重くなりません。相手も身構えないし、こちらも構えずに済みます。

「今年は夏に行って、冬は電話にする?」でもいい。「泊まりじゃなくて日帰りにしてみる?」でもいい。それが通るかどうかより、そういう話ができたという事実のほうが、あとに残ります。

一度そうなると、次からは少し早い段階で相談が来るようになったりします。相手も、聞いたほうがいいことだと気づいていないだけ、ということは案外多いものです。

おわりに

そうやって話し合ってみても、行く回数は去年と同じかもしれません。日程も、手土産も、過ごし方も、ほとんど変わらないかもしれません。

それでも帰りの車の中で、少しだけ違う気がすることがあります。

その「少しだけ」を、あまり小さく見なくていいと思います。

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