きちんと話し合えたはずなのに次の週にはまた同じことで黙り込んでいる。
あのときは伝わったと思ったのに。
あのときはお互い納得したはずなのに。
それなのに、また同じ場所に戻ってきてしまう。
自分の伝え方が悪かったのか相手が聞いていなかったのか、どちらかに原因を探したくなります。
でも、話し合いがうまくいかないときというのはどちらかが悪いというより、そもそも二人が別のことをしようとしていた、ということが少なくありません。
「わかってほしい」と「解決したい」は別のもの
「話し合おう」という言葉は、とても前向きに聞こえます。向き合う姿勢があるということですし、関係をよくしたいという気持ちの表れでもあります。実際、それを言えること自体が誠実さの証だと思います。
ただ、同じ「話し合おう」でも、二人が求めているものが違っていることがあります。
片方は、この気持ちをわかってほしいと思っている。しんどかったこと、我慢していたこと、悲しかったこと。それを口に出して、そうだったんだね、と受け取ってもらいたい。
もう片方は、この問題をどうするか決めたいと思っている。原因はどこにあって、次からどうすればいいのか。同じことが起きないように、着地点を見つけたい。
どちらも間違っていません。むしろどちらも、関係を大切にしているからこそ出てくる姿勢です。けれど、この二つが同じテーブルで進むと、話は少しずつずれていきます。
気持ちをわかってほしい側からすると、すぐに「じゃあこうしよう」と言われることは、話を早く終わらせようとしているように感じられます。まだ何も受け取ってもらえていないのに、と思う。
解決したい側からすると、話がぐるぐる回っているように感じられます。もう理由はわかったから、次にどうするかを決めたいのに、と思う。
同じ話をしているつもりで、実は違う目的の作業をしている。だから、どちらも真剣なのに、終わったあとに残るものが少ない、ということが起こります。
これは、切り出すときにひとこと添えるだけで、だいぶ変わります。「今日は結論を出したいというより、聞いてほしいことがあって」。あるいは「気持ちの話じゃなくて、来月のことを一緒に決めたい」。
最初にそれを言うのは、少し照れくさいかもしれません。でも、目的が同じ方向を向いているだけで、話し合いは驚くほど静かに進みます。
話し合えたことで、解決したと錯覚する
もうひとつ、あまり語られないことがあります。
しっかり時間をとって話し合ったあと、独特の充実感が残ることがあります。ちゃんと向き合えた。逃げなかった。言いたいことを言えた。相手も聞いてくれた。
その感覚は、たしかに本物です。話し合えたということは、それだけで意味があります。
ただ、その充実感が強いと、話し合えたこと自体を、解決したことと取り違えてしまうことがあります。実際には何も決まっていなくても、何も変わっていなくても、あれだけ話したのだからもう大丈夫だ、と感じてしまう。
そして数日後、また同じ場面がやってきて、あれ、と思う。
このとき自分を責める必要はありません。話し合いには、そういう作用があるというだけのことです。感情がたくさん動いた出来事のあとは、その動き自体が達成感として残りやすい。だから、終わった直後がいちばん「うまくいった」と感じやすい時間帯なのだと思います。
もし気になるなら、話し終わったあとに、ひとつだけ確かめてみてください。
今日決まったことは、何かひとつでもあるだろうか。 決まっていないなら、それはそれでいい。今日は聞いてもらう日だった、と思えるかどうか。
どちらでも構わないのです。ただ、どちらだったのかがわかっているだけで、次の同じ場面が来たときに、また一からやり直しにはなりません。
言葉にするのが得意ではない人もいます
話し合いという形そのものが、誰にとっても平等ではない、ということも知っておきたいところです。
自分の気持ちを言葉にするのが、あまり得意ではない人がいます。感じてはいるけれど、それにあてはまる言葉がすぐに出てこない。急かされると、頭のなかがさらに白くなる。何か言わなければと思うほど、言葉が遠ざかっていく。
そういう人が黙り込んだとき、それは拒否ではないことが多いです。考えていないのでもありません。ただ、まだ言葉になっていないだけ。
黙っている時間は、話し合っている側からすると、とても長く感じられます。無視されているような、逃げられているような気持ちにもなります。その苦しさは、本当にそのとおりだと思います。
それでも、少しだけ待ってみる。あるいは、その場で答えを求めない。「今すぐじゃなくていいから、思いついたら教えて」と言って、いったん終える。
言葉にするのが苦手な人にとって、その一日が、考えをまとめるための時間になることがあります。翌日にぽつりと出てくる短いひとことのほうが、その場で絞り出した長い説明より、ずっと正直だったりします。
向き合い方は、必ずしも面と向かって話すことだけではありません。メッセージのほうが素直に書ける人もいますし、隣で家事をしながらのほうが話せる人もいます。形はいくつあってもいいのだと思います。
「解決したか」より「少し楽になったか」
話し合いがうまくいったかどうかを、解決したかどうかで測ると、ほとんどの話し合いは失敗になってしまいます。
暮らしのなかの困りごとは、一回の会話で片づくものばかりではありません。むしろ、何度も戻ってきては、少しずつ角が取れていくもののほうが多いように思います。
だから、目安を少しずらしてみるのはどうでしょうか。
終わったあと、前より少し楽になっただろうか。 言えなかったことが、ひとつでも言えただろうか。 相手のことが、少しだけわかっただろうか。
そのどれかがあれば、その話し合いには意味があったのだと思います。何も決まらなくても、次の話がしやすくなっていれば、それで十分なことも多いのです。
そして、今日はそういう気力がない、という日もあります。そんな日は、話し合わないという選択も、ちゃんとした選択です。
話さないと決めた夜が、次に話すための時間になることもあります。
