「今度の休み、どうする?」がしんどくなった理由

「今度の休み、どうする?」 そう聞かれて、少し黙ってしまった。

行きたい場所が浮かばないわけではない。
つまり、乗り気じゃないわけじゃないけど、そのまま「うーん、どうしよっか」と返して、話はなんとなく終わってしまう。

夏の間は、こんなに迷うことはあまりなかったのに。

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夏は、予定のほうから来てくれた

思い返してみると、夏の予定はいつも向こうからやってきていました。

花火大会は日付が決まっていて、行くとなれば強制的にその日に行くしかありません。お盆も、帰省するなら時期は限られます。夏祭りも、海も、旅行も、「行くなら今」という期限がついていました。

だから「今度の休み、どうする?」と聞かれても、答えはすでにそこにあったのです。カレンダーを見れば予定が並んでいて、あとはそこに乗っかるだけ。何を選ぶかで悩むことはあっても、何もないところから考える必要はありませんでした。

暑さも、人の多さも、少し疲れる部分はあったかもしれません。それでも、あの時期はふたりの時間が自然と賑やかでした。予定が決まっているぶん、話題も生まれます。「何を着ていこう」「何時に出よう」「帰りはどこで食べる?」と、当日までの会話も途切れませんでした。

写真もたくさん残っています。屋台の明かりの下で撮ったものや海に向かう車の中で撮ったもの。見返せば、あの数か月がずいぶん濃かったことがわかります。予定が多かったぶん、覚えていることも多いのだと思います。

夏は、予定が二人を引っ張ってくれていたのだと思います。

秋にも予定はあるのに、決まらない

では、秋には何もないのかというと、そんなことはありません。

紅葉も、味覚狩りも、地域のお祭りも行こうと思えばいくらでもあります。むしろ気候はいいので、出かけるには夏よりずっと快適なはずです。日が落ちるのが早くなったぶん、夕方からの時間もゆっくり使えます。

それなのになかなか決まらない。

理由は、秋の予定には「今週じゃなくてもいい」という余白があるからかもしれません。紅葉は数週間続きますし、今週が雨なら来週でも構いません。行かなかったからといって、何かを逃した感じもしません。

選択肢が多くて、期限がゆるい。そういうものほど、実は決めるのが難しいものです。夏のように「その日しかない」と背中を押してくれるものがないぶん、自分たちで選ばなければいけません。

しかも、相手に希望を聞いても「どこでもいいよ」と返ってくることがあります。悪気がないのはわかっていても、こちらだけが考えている気分になって、少し疲れてしまう。

そうしているうちに時間が過ぎて、気づけば日曜の午後になっている。結局どこにも行かないまま一日が終わって、少しだけもったいなかったような気持ちが残る。そんな休日が、秋にはときどきあります。

「どうする?」と聞かれて言葉に詰まるのは、行きたい気持ちがないからではなくて、決め手がないから。それだけのことなのだと思います。

静かになると、少し不安になる

けれど、こういう時期に少し心がざわつくのは、予定が決まらないからではないかもしれません。

夏のあいだ当たり前だった賑やかさが、気づけば静かになっている。休みの日に何をするでもなく、家でそれぞれの時間を過ごしている。それ自体は穏やかなことなのにふと「前はもっと楽しそうだったのに」と思ってしまう。

そして、その静けさを気持ちの変化のせいにしてしまうことがあります。

前ほど誘ってこないのは、私に飽きたからだろうか。会話が減ったのは、話すことがなくなったからだろうか。そんなふうに考え始めると、何気ない沈黙まで気になってきます。

SNSを開けば、誰かの秋の予定が並んでいて、それも少し効いてきます。旅行先の写真や、きれいな紅葉の一枚。見るたびに、うちは何もしていないな、と思ってしまう。

夏はこちらにも見せられるものがあったので、そういう投稿もあまり気になりませんでした。予定が減った時期にかぎって、人の楽しそうな様子が目に入ってくるのは、少し不思議なところです。

でも、その静けさの原因はたぶんもっと単純なところにあります。夏が終わったのです。

季節が変わるように、関係も変わる

季節は、ずっと同じ温度ではいられません。

夏の日差しがそのまま十二月まで続くことはありませんし、あの蝉の声が一年中鳴いていることもありません。暑さが引いて、風が涼しくなって、少しずつ静かな季節に入っていく。それは、何かが悪くなったということではなく、次の季節に移っただけです。

ふたりの関係も同じなのかもしれません。

出会ったばかりの頃の高揚感が、そのまま何年も続くことはありません。会うたびに新しい発見があった時期を過ぎて、少しずつ落ち着いていく。それは熱が冷めたのではなく、関係が次の段階に入ったということです。

考えてみれば、ずっと同じ温度で走り続けられる関係のほうが、少し不自然です。ときどき盛り上がって、ときどき静かになって、そういう波があるほうが自然でしょう。夏がずっと続いたら、たぶん先に疲れてしまいます。

秋にさみしさを感じるのは、それだけ夏が賑やかだったということでもあります。何も残らなかったわけではなく、その賑やかさがあったからこそ今の静けさに気づけているのです。

そしてもうひとつ。静かになったと感じているのが自分だけかというと、案外そうでもありません。相手も同じように、なんとなく物足りなさを感じていることがあります。ただ、それを言葉にするタイミングがないだけです。

静かな時間を、一緒に過ごせるということ

そして、ここが少し大事なところだと思うのですが。

何の予定もない休日を、一緒に過ごせるというのは、実はそれなりのことです。

付き合い始めた頃は、会うたびに何かをしていたはずです。どこかに行って、何かを食べて、写真を撮って。「せっかく会えたのだから」という気持ちがあったから、空白の時間が少し気まずくもありました。会話が途切れると、慌てて話題を探していたかもしれません。

それが今は、特に何もしなくても一緒にいられる。テレビをつけたまま別々のことをしていても、間が持たないと感じない。片方が昼寝をしていても、気を悪くすることもない。それは、相手の前で気を張らなくてよくなったということです。

盛り上がる予定を探そうとすると、秋の休日はどうしても物足りなく感じます。けれど、目的を持たない時間をそのまま過ごせる相手というのはそんなに多くありません。

もし何かしたくなったら、そのときに決めればいいのだと思います。近所を歩いてみるいつもと違うパンを買ってみる、少し遠いスーパーまで行ってみる。その程度でも秋は十分に感じられます。大きな予定を立てなくても、季節はちゃんとそこにあります。

夏のように、行かなければ終わってしまうものではありません。今週できなくても来週があるというのは、面倒でもあり、気楽でもあります。

「今度の休み、どうする?」に、無理に答えを出さなくてもいいのだと思います。特に決まらないまま、なんとなく一緒にいる。それもひとつの過ごし方です。

おわりに

夏の賑やかさが消えたのは、関係が冷めたからではありません。

季節が移るようにふたりの関係も次の季節に入っただけ。

静かな休日を一緒に過ごせるようになった。それだけのことです。

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