連休で実家に帰ったときふと親を見て、ああ年を取ったな、と思ってしまう。
その場では何ごともなく過ぎていきます。
けれど夜、布団に入ってからふと頭をよぎる。
いよいよ、かな。
言葉にしにくい不安と、夫婦の温度差
その不安を、口に出す人はあまり居ません。まだ何かが起きたわけでもないし、大げさに騒ぎたいわけでもない。それでも心のどこかに小さな重りのようなものが残ります。
勇気を出して夫に話しても、「まだ元気そうじゃない」の一言で終わってしまうことがあります。
悪気があるわけではありません。ただ、自分の親のわずかな変化は長い時間を一緒に過ごしてきた人にしか見えないものです。夫にとってのお義母さんは、年に数回会う優しい人。同じ景色を見ていても、見えているものが違う。
そして逆のことも起こります。夫の実家について自分がどこまで踏み込んでいいのか分からない。心配していないわけではないけれど、口を出せば出しゃばりのようで黙っていれば冷たいようで、どちらにしても落ち着かない。
この温度差は、単に見えているものが違うというだけのことです。けれど、放っておくと少しずつ溜まっていきます。そこで親のことが現実味を帯びてきた夫婦が、あらかじめ決めておくとラクになることが、みっつあります。
ルール① 自分の親のことは、自分が引き受けると決めておく
ひとつめは、それぞれが自分の親の窓口になる、と決めておくことです。連絡を取るのも、病院に付き添うのも、いざというときに判断するのも、基本的には実の子どものほうが引き受ける。
これは「協力しない」という意味ではありません。「相手がやってくれるだろう」を前提に置かない、というだけのことです。
前提にしないと決めておくと、いくつかのことが起こります。
まず、がっかりする回数が減ります。「これくらいは言わなくても察してくれるはず」「普通は一緒に来てくれるものじゃないの」——期待は、口に出さないまま膨らみます。そして応えてもらえなかったとき、相手は何が起きたのかも分からないまま責められることになる。最初から自分が引き受けると決めていれば、この行き違いは起こりません。
次に、判断が速くなります。介護が始まると、細かい決断が絶え間なく降ってきます。誰が決めるのかが曖昧なままだと、そのたびに相談し、様子をうかがい、迷っている間に時間だけが過ぎていく。窓口が決まっていれば、迷わず動けます。
そして、お互いの実家のやり方に口を出さずに済みます。家によって、お金の考え方も、親戚との距離感も、驚くほど違います。良かれと思って言った一言が、相手の家の事情を知らないまま踏み込んでしまうことは珍しくありません。それぞれが自分の家を引き受けていれば、そもそもそういう場面が減ります。
最後に、貸し借りが生まれません。「私はあなたの親のためにこれだけやった」という感覚は、いつか必ず精算を求めます。そして、その請求書は、たいてい一番しんどいときに出てくるのです。
ルール② お金のことだけは、別に決めておく
ふたつめは、お金についてです。
「自分の親のことは自分が」という考え方を、そのままお金にも当てはめると、うまくいかないことがあります。夫婦のあいだに収入の差があるとき、片方にだけ重くのしかかってしまうからです。
介護に関わるお金は、大きな費用だけではありません。実家へ通う交通費、日用品や介護用品、外食が増えること、有給を使い切ったあとの欠勤。ひとつひとつは小さくても、続くと確実に効いてきます。パート勤務や時短勤務で働いている場合、その持ち出しは家計の中で決して軽くありません。
そして、そのたびに「お金を出してほしい」と切り出すのは、想像以上に気が重いものです。言い出しにくいまま自分の財布から出し続け、いつのまにか消耗していく。これは、かなり多くの人が通る道です。
だからお金については、動き方とは別のルールを先に決めておきます。考え方はいくつかあります。
- 動くのは各自、費用は家計から出す
- 役割は分けても、お金は夫婦共通の支出として扱う。もっとも揉めにくい形です。
- 月にいくらまでなら相談なし、と上限を決めておく
- その範囲内なら、いちいち切り出さなくていい。言い出しにくさが消えます。
- 使ったお金は「お願い」ではなく「報告」にする
- 頭を下げる場面をなくし、共有するだけの形に変えます。
- 親自身が出せる分を、先に確認しておく
- 年金や貯蓄でどこまで賄えるのか。子どもが負担すべき前提を、そもそも見直します。
- どちらかの親に大きな費用がかかったときの扱いを決めておく
- 立て替えなのか、家計からなのか。あとで揉めるのは、たいていここです。
どれが正解ということはありません。収入のかたちも親の状況も、家庭ごとにまるで違います。大事なのは、お金が動き始める前に一度話しておくことです。実際に必要になってからでは、どうしても切実な話になってしまいます。
ルール③ 動いてくれたときは、必ずお礼を言う
みっつめが、実はいちばん大事かもしれません。相手が自分の親のために何かしてくれたときには、その都度きちんとお礼を言う、ということです。
一緒に実家へ行ってくれた日には、帰り道でも、家に着いてからでもいい。「今日はありがとう」と言葉にする。
ひとつめのルールだけでは、夫婦はだんだん別々の方向を向いてしまいます。それぞれが自分の家のことで手一杯になり、気づけば同じ家に住んでいるだけの二人になっていた、ということも起こりえます。それを防ぐのが、このみっつめです。
人が消耗するのは、大変なことをしたときではありません。大変なことをしたのに、それが当たり前として扱われたときです。一度目は快く付き合ってくれた相手が、三度目には気が進まなくなる。その多くは、労力そのものではなく、労力が透明になってしまったことが理由です。
逆に言えば、お礼を言われた人は、また動けます。義務としてではなく、自分の意思で。同じ行動でも、そこにある気持ちがまるで違ってきます。
そしてもうひとつ。お礼を言えるのは、それが「やって当然のこと」ではないと、お互いが分かっているからです。ひとつめのルールで自分が引き受けると決めているからこそ、相手がしてくれたことは義務ではなく厚意になり、素直にありがとうと言える。みっつのルールは、セットで初めて機能します。
自分の親のことだけを、考えていていい
これらを決めておくと、いちばん変わるのは、気を遣う相手が減ることです。
夫の実家にどこまで踏み込むべきか。夫は私の実家のことをどう思っているんだろう。介護そのものより、こうした遠慮や探り合いのほうが、じわじわと消耗させてきます。誰かに相談できるようなことでもなく、ずっと頭の片隅に居座り続ける。
最初にお互いの窓口を決めてしまえば、その部分がまるごとなくなります。夫の実家のことは夫が考える。だから、自分は自分の親のことだけを見ていればいい。手を貸してほしいときはそのときにお願いすればいい。
考えることが減ると、迷いも減ります。迷いが減ると動きやすくなります。
親の老いは、必ずやってきます。そしてその先には、自分たちの番も控えています。
今、二人でどう決めるか。それはそのまま、自分たちが年を取ったときに、どう向き合えるかの練習になっているのかもしれません。
気づいたときが、話すときです。二人で決められることが、きっとあります。
